パチンコ回想録11~15その11、1985年春 セブン台が消えた日?パチンコに厳しい規制がかけられ、「新風営法」施行の為、尚更、規制というものに拍車をかけることになります。 この頃、新規開店の店には、セブン台が1台も設置できないという最悪の事態があり、既存店においても、新機種の認定が難しいため、現行の機種の入れ替えをするような時代でした。 ホールは、ならば、ということで、「チーター型」と言われる普通台の一発台調整や、1回権利モノの1回定量など、限られたなかで工夫しておりました。 また、既存のセブン台は設置台数が30%まで、という決まりがあり、その為、中心となるのはハネモノであります。 そのハネモノも認定が降りず、「ゼロタイガー」「キングスター」などが「新台」として導入される時代でもありました。 「ゼロタイガー」などが販売年数を延ばしたのも、そういう時代背景があったからと思います。 1985年、業界は「新セブン台」の時代に入ろうとします。 1/200、出玉1300発。勿論時短や確変などありません。 ホールはこれを「1回交換」で営業するのですが、相当回さないと客は飛んでしまいます。 そこで現れた新営業が「ラッキーナンバー制」「時間帯無制限」という方法です。 今の営業方針の基盤がこの頃出来あがったのですね。 さて、その新セブン台ですが、音やアクションで楽しめる、確率が甘い、などが思いの他ウケて、その為、中心だった平和、三共、西陣、三洋、京楽以外のメーカー以外が台頭するきっかけになります。 当時デビューした新セブン台はこんなのがありました。 三共=F10スペシャル 平和=ブラボー10 西陣=キャプテンルーキー 京楽=サンスカーレット 三洋=ニューパニック マルホン=クラウン 奥村?=アドバンス1号(すぐ攻略され2号。これも攻略ですぐ3号) ニューギン=エキサイトヒーロー1 大一=アイドルセブン@(スグに攻略され、βが出る) 豊丸=ビックドン。 <スロット> ユニバーサル(現アルゼ)= トロピカーナ ミズホ=ファイヤーバード 山左=パルサー オリンピア=ペガサス タイヨー=ハイアップ 以上のようなスロット「1号機」と呼ばれる300枚機が登場し、これが現行の機種の 基礎となります。 これらニューセブン台はとんでもない攻略法があり、攻略会社設立もこの頃でした。セブン台のコーナーにプロの縄張りは出きる、ホールは変なルールを作るなど、これがきっかけで「ストップボタン」がいづれ、消えて行く運命となります。 --------------------------------------------------------------------- その12 1985年4月 499は555の目! なんだかんだ云いながら、留年もせず、大学3年生になります。 この頃、再び、ホールのバイトをしたり、日雇いのバイトしたり、時には青山のカフェバーで働いたり。 車が欲しくなり、バイトに励む毎日でした。 ホールでのバイトで、1300発機の出目移行に気付きます。 友人らはデーターを取ったりし、また、色々な方面から「リーチ目」入手したり。 そうです。多くの台にリーチ目が存在しておりました。 出目移行に法則があり、前出目+121とかのように移行し、その法則が崩れた時なども要注意でした。 ホールにあったのは「F10スペシャル」とアイドルセブンαという台。 このアイドルセブンには驚きました。 左デジタルが偶数→奇数で移行するのですが、この法則が崩れるときが、モードの移行になります。テンパイ目があり、最終的にはこのリーチ目の次の回転が大当たりになります。 例えば255→499→555のように、リーチ目前にイイシャンテンがあります。 簡単な方法は、ストップボタンを押し捲り、×55、×77のような右のゾロ目か×76 、×34のような目が出たら、連続回しをする。そうすると上記のようなパターンに発展する。連続回しが出来ないときは、30秒位間を置いての単発打ち。 更に、発見したことは、一度大当すると、連続で回せば、永遠に数珠繋することも判り、また、ボタンを押さない限り、保留連荘は絶対に存在しないことも判りました。 さあ、大変です。こんな攻略が判ってしまったら、今までパチンコやらないヘヴィメタ兄ちゃん達もバイトには来ません。 ロン毛のメタル集団にドル達変なヤツらが徒党を組んで動きまわります。 ただ、これと、アドバンス一号、エキサイトヒーローはあまりにも早い攻略なので、撤去も速かったです。 私は、このアイドルセブンの恩恵は一瞬しか味わいませんでした。 攻略会社というのが設立し、かなりの高額でデーターを売り出したのもこの頃。 20万30万といわれる攻略であっても買う人間が居て、しかも、それが言いふらすので、大変なことになっていました。 確実性がなくても、リーチ目というのが、殆どの機種に存在していて、一般的には 真中に対し左+1、右-1のような(654、765)リーチ目が多く存在しておりました。 ホールによってはリーチ目を貼り出す開き直ったところもありました。 私は主に「キャプテンルーキー1」を中心に、タバコに出目表を挟み、楽しんでいました。 100%の攻略ではありませんでしたが、大当確率1/200よりも早いスピードで当り、良い小遣いにはなりました。 ベテランの方ではかなり稼がれた人もいらっしゃることでしょう。 仕事や学校を辞めてにわかプロに変じた人も沢山いました。しかし、当時のように雑誌が無かった時代でも、3ヶ月もすれば、ホールから姿を消すことになります。 今なら一日でしょうね。姿消すのは。そ~いうことが解ってるのに、今から数年前、攻略に手を出した愚かものです。(笑)これ以上は言及しません。 オカルト発生の背景は、このように大昔に実際のリーチ目が存在していたことによるものです。ただ、私的には、「リーチ目」=1回転で、出るということで、今のオカルトのようにミ・ド・マ(ちょいと古いか)で100回転以内で出るとかはリーチ目と呼ばない!と感じます。 余談ですが、「台のドツキ」も、「タコフィーバー」や「F10スペシャル」が叩くとドラムが落ちて当るというのが始まりだと思います。この手の台は揃う時に「引っ掛かるようにして」止まることがあり、たまたま叩いた時、落ちてくるように思えたからと思います。 ドツキを大成させたのが、Fクイーンで、叩いたら、ドラムが1周したとか、とにかくクイーンは叩く人が多かった。この感覚ですよね。海に引き継いでいるのは。 叩いたタイミングと半コマ戻りのアクションが一致し、叩けばどーにかなるのか・・・が、エスカレートして・・・。 ただ、昔は叩くと出てきたのは魚群ではなく、パンチパーマの店長さんだったような気がします。(爆)もっと厳しくして欲しいです。ゴト行為の一種なんだから。 セブン台の規制について。 最初に出たセブン台は777-7で30秒OPENで、Vゾーンに入賞すれば、継続し、ラウンドなんかありません。その店の定量(打ち止め)が1万発であれば、パンクしなければ1万発まで走るというものです。 当時は3000発打ち止めが中心でしたが、ホールによっては10000発なんていうのがあり、箱もバケツを使用するなど、射幸心をアオルものでした。社会問題まで発展しました。 最初の規制は1982年。ラウンドを10R上限とするというもの。 次が1984年、アタッカーOPENを15秒以内とする。 そしてこの年に決定したのがアタッカーOPENを30秒10カウント、継続は10R迄、となりました。(1300発機の登場) 1986年頃から、メーカーは「おまけチャッカー」を作り、アタッカーの反動で横にこぼれるようにして、おまけ穴に入れる仕様となります。 その問題に規制すべく、1990年、アタッカー継続を16R迄にするという代替策がでて、現行の台の基板が出来上がります。 以後は内規に絡むことが多いので、今回はここまで。 -------------------------------------------------------------------- その13 1986年2月 止打ち攻略 大学生という身分は今思えば最高の身分です。 自由があり、失敗も「若いから」で許される。だけど、その時に何かを発見しないと、いつになっても大人にならないドルのようになってしまう。 華やかな大学生では無かったですが、これも自分が華やかにしようと努力しなかったのがいけません。 でも、麻雀、パチンコ、ドライブ、スキーと、適当に遊びまくっていたのは事実です。 時代は「バブル経済」などと言われ、景気が絶好調。物価も高い時代でありました。我々の近隣駅前の地価相場が1坪350万(現在100万弱)、ワンルーム賃貸が平均7万円(現在5.5万円程度)と今では考えられないヒートアップした時代です。 この頃はユーロービーロやブラコンといわれる、ソウル系音楽、映画ブームに影響され、アメリカンハードロックなど流行っていました。 マイケルジャクソン、ドナサマー、STYX サバイバー、ジャーニーなんていうのもこの頃でしょうか。 ドルは相変わらず、景気だとか、地上げだとか、世間の動向とは全く考えずに打ちまくっていました。(汗) スキーやドライブに行っても、ついてくるのは街道筋のパチ屋。 パチツアーなど組んで、メーカーの街、桐生に行ったり、名古屋、静岡などまで遠征したり、活発に各地にて発生していました。 ちょうどこの頃、好きな人が居て、アタックするもフラレまして、かなりブルー入っていました。まあ、フラレて良かったんですが(笑)。なぜなら今でも友達だからね。 この頃はケンリモノに凝っていましたねぇ~。 権利モノも三共の「ゴールドスパーク」京楽の「コスモアルファ」「サンシャイン」は止打ちが出来、Vを直撃できました。 同じ頃、グランドホーク、サンタナといった3回権利が登場。止打ちでガンガン攻略されていて、一般人はとてもだけど、そのコーナーに入って止打ちなんかできません。 逆に、1回権利モノはそ~いう意味では狙え目でしたね。 ゴールドスパークは中央にロータリーがあって3つある穴の内1つがV。 Vに入賞すると、8R消化又はもう一度V入賞(所謂パンク)まで継続。1回の出玉は約800個。 コスモアルファは2/6の赤い穴に入賞すると、上記と同じような作動。 こちらは1回で1000発見込めます。 1回の玉数が多い為、命釘は狭い調整が一般的。1Kで1個入ればOK。 ただ、1/3でけども、外しまくることがあり、打ち止め出来ず10K投資なんていうのは良くありました。確率の隔たりですね。 この種の機械を考えると、ローターを乱数に置換えれば、デジパチの仕組みがわかると思います。 そして、Vを狙うのには、例えば時計の6時の方向から3発打つとか、Vの当り易いじ「時」だけ打つというもの。 これもデジパチに置換えれば「体感機」で、あたり易い周期のみを狙うというのと同じ原理。体感機の場合は乱数を外部から判断できないから、大当たりゾーンを実際当てるなどして「確認」しなければなりませんが、この手の権利モノは当然Vの位置が確認出来るから、要領つかめば、簡単なものです。 これは使えましたね。 特に「サンシャイン」はほぼ100%直撃出来るから、狙い易い台でした。 定量1万発の店を狙い、1万発も2~3時間で止められるんで、これら専門に打っていました。 ドルもたまには「合コン」なるものも参加していました。 ある日の合コン時、フィルムが無くなったと友人から言われ、こ~いうときは必ず「ドル!打って来い」命令が出ます。(爆) 自由が丘の駅前某店に走りこみ。「ゴールドスパーク」の開放台をドンピシャ当て、ついでだから打ち止めまでやっちゃえ!と粘っていたら、友人が引き戻しに来る・・・なんてことありました。 フイルム+5K位稼いだかな?でも、合コンそっちのけで打つ人間です。(笑) 攻略されているので、台の設置は減りつつありました。 パチドランカーKさんお気に入りの「エースナイン」や「ハードロック」といった、止打ちが出来ない権利モノに変りつつありました。 狙ってV入賞した瞬間・・・あの達成感は格別なものでした。良き時代です。 <本日登場の機種> ゴールドスパーク(三共)ALL13 天横から入賞、ロータリーに球が乗り、「鍵形」の穴入賞で権利獲得。 1回入賞し、サイドの落しに入ると、ヤクモノが10秒10カウントまで開く。 再度V入賞か、8Rまで行くと終了。出球は約800発。すぐに「止打ち対策」用2号機が出る。 コスモアルファ(京楽)ALL13 中央の左右からセンターロータリーに入賞で赤い穴入賞(2/6)権利獲得。 センター下に発生時のみチャッカーが登場。チャッカー入賞で6秒開く。 初代は10カウントなし。出玉は1000発位。ロングヒット。 サンシャイン(京楽)ALL13正式名称はこれでよかったかな・・・? ゲームは上記と同じ。 入賞口が「ヘソ」のため、狙い易く、また、ローターの動きがゆっくりなので、非常に狙い易い台でした。あまりHITせず。 ------------------------------------------------------------------- その14 1986年6月 リクルートモード 大学4年となると、普通は3年までに単位を貯め込むから、授業も少ないはずですが、ドルの場合、単位不足で、めいいっぱい、授業を受けなければなりません。(汗) 春を過ぎると就職活動の話題が増えてきます。 8月1日が形の上での就職解禁でしたが、フツーは7月には「内定」を取るようでした。 連日、遊んでいた仲間達が、ある日スーツを着て学校に来ました。 それまで、ボサボサの髪、スーツなんか着方もしらない、そんな状態だったのに、頭まで刈上げ、びしっと!まあ、当り前のことなんですが。 ただ、この時、とてつもない抵抗が私を襲ったんですね。それと、「取り残された」ような、イヤ、「引いてしまう」ような感じか。 急に真面目になるのは良いのですが、私は「方向性」を見出せず、そんな単純なことに悩んでいたし、前日まで一緒にバカやっていたヤツらが、急に「モードチェンジ」してしまったころは誠にショックではありました。 周りを見ると、興味なんかありそうもない分野を目指すとか、 コンピューターに全く興味すらない人がコンピューターが好きだからその方面に進むとか・・・。 また、ある友人は「俺は鉄が好きだから」鉄鋼関係に進むとか・・・。 鉄が好き???う~~ん悩みました。(爆) 悩んでいる私に、皆さんアドバイスをしてくれます。 「好きなこと、やりたいことをやればいいじゃん!」とね~~。 ほんの少しでも興味があれば、例えば、鉄って硬くて魅力だな~とか(笑)、そんな程度で、良いと思います。きっかけなんて。 そんなことならば何でも出来ますよね。だけど、それが私は納得行かなかったのです。 やりたいことがあれば結構なこと。でも、本質は進みたい会社の経営状態とか、今後の展望とか、そ~いう方が優先なんでは?となると、特殊な仕事を除けば、業種の選定はあとでついてくるもので、「鉄が好きだから鉄関係」とかそういうこじつけみたいな決め方が受け入られません。 モタモタやっている私に、周りが焦ります。 「やりたいことやりなよ~~」それで決心したこと!! パチンコ関係、漁師関係に進むぞ!或いは放送関係だぁ! それで、したことは・・・。 大一、三共、平和、西陣、藤商事・・・むふふ。所在地調べ、なぜか上野のショールムにアポ。人事担当者おねがいしま~~す!と。(大爆) 当時、メーカーは定期採用などありません。今のように新卒を取ることなんてありません。殆どのところがビックリしていました。勿論だめですが、西陣さんは、取りあえず採用関係の方から電話を頂き、お話出来ました。藤商事さんは、営業経験者で、中途採用をする場合があるという説明を受けました。 友人らは焦っていましたね。私の独断と偏見の固まりの就職活動に・・・。 当時は今では考えられないほど企業も真剣でした。 ありがたい事なんですが、人事担当者が家に「飛び込み」で来て、「入社を斡旋する」なんていうのが結構ありました。 今の就職難ではとてもだけど考えにくいことですよね。 私も、5~6社ありました。 パチンコから帰ってきたらいきなり、面接だったりとか・・・(爆)。 しまいには、親を説得すべく、私の母親が面接してたこともありました。(大笑) その会社は某外車メーカーの日本合弁会社で、今は存在しません。(ある意味行かなくて良かったことだろうか?) そのメーカーの車に乗っていたことあります。修理に難があった。だって、その会社無くなっちゃったから。 で、その場で「内内定」なんていうこともあり、「ちょいとまってください!」なんて、罰当たりなことを言った覚えがあります。 結局、大した活動もせず、放送という名のつく通信系会社に内定は決まったのですが、そんな考えでしたから、その会社はスグに退社することになります。 真剣に自分の将来設計をせず、また、そんな能力も無かったです。なので、後になって「ツケ」は当然回ります。・・・というか現在進行形で「回っています」が正解か。 6月某日、あるゴルフ会員権の会社、かなり強引に「内定」を出してくれた。 その会社のイベント出席日・・・・。 新橋の駅前のホールでビックシューターを目の色変えて打っているリクルート姿の学生がいました。・・・それ、私です。 勿論「お断り」の連絡入れてのことですが。 色々な思い出の機種は沢山あります。変えていえば、「ビックシューター」なんかはそれ自体が青春の想い出みたいなものでしょうか。 30~40代のパチンカーで、ゼロタイガー、ビックシューター、レッドライオン・・。 同じような想い出がある人たくさんいるかな~~?なんて思います。 ビックシューターの落しに入る音、V入賞の「ブラボーファンファーレ」。 ローターに貯玉するなどのちょいとした工夫。 手に汗握る一時でした・・・。 そうそう、きっかけといえば、内定何社か貰えたあと、真似してみました。 「プロパンガス」が興味あると、こじつけて大手液化ガスの面接に行ったことありました。でも、その時、にわかプロパンファンになるべく、図書館行き、「石油化学」について調べました。後年、このことがあった為に、「化成品」関係の仕事に就職したこともあります。 面接官「プロパンのどこに興味がありますか」 ドル「力強いところ、爆発力のあるところ」(腹抱笑) 結果、翌日に「不採用」通知、速達で到着。 翌年3月、なんだかんだいいながら、4年で学校を卒業できました。 <本日登場の機種> ビックシューター(平和)ALL13 ハネモノ、V入賞後ハネ開き8回目で保留解除。 玉を貯玉して、停止しているローターに玉を経由させ、V継続する仕組み。 大HITし、現在も後継機があるほどです。 V入賞時のファンファーレに中毒になった人も多かったはず。 ------------------------------------------------------------------- その15 1987年春 社会人になれる??っかな? ぐーたらな大学生活も終止符。何かに打ちこんだということもないし・・・。 打ち込んだのは、「銀玉」でしょうか?(笑) ここまでの回想録にあるように、決して、ここまでは大敗を喫するということではなく、むしろ、結構小技で遊んでいたと思います。 しかし、この社会人になってから、約10年間。間違い無く、勝った年はないでしょうし、相当な堕落した人生を送ることになります。 この頃、パチンコは「おまけチャッカー」の登場により、大量出玉の時代が復活します。「コスモクルーズ」や「パールセブン」という台は、一撃3000~4000発が望めました。LN制も定着し、初回7のみ無制限や初回3.7は0.4が出るまで無制限というLNも多く見られました。 その結果、10万勝ちも夢でなくなり、再び、ギャンブル性が強くなって来ました。 社会人となれば、多少金も出来る。私も、このような機械やスロットに命を燃やすことになります。 スロット中毒の時は月間50万もマイナスになった事もあり、深刻な人生を歩むことになります。 最初入った会社。あまり詳しく書くとバレルので、適当に。 通信関係の大手です。ただ、問題ばかりあり、「業務停止」食らうなど、社会的評判は良くない組織でした。 私が入社した頃もそうで、トラブルから、結構叩かれていました。 驚いたのは、この会社、定着率が悪く、殆どの人は試用期間6ヶ月で辞めてしまうのです。 せっかく、「良い先輩」にめぐり合えてもいつのまに居なくなる。だから、新人が新人に仕事を教えるという、これは毎日が不安でたまりません。 私も入社2ヶ月目には新人に教えていました。(爆) 3ヶ月も経つと、同期新卒31名のうち、残ったのは15名。ますます不安です。 仕事は「完全飛込み営業」。実際の条件と給与が違うため、こんなので労働基準監督所からクレームがついたこともあります。 新人入っても、「簡単な営業」ということで入社するため、一緒に飛込みをすると、まず、次の日には来ません。 水は掛けられる、塩は蒔かれる、競合他社には脅されるなどなど。 アタッシュケースにはペンチとニッパーが必需で、通信関係ですので、外部から他社通信回線を遮断し、壊れたところに偶然を装い営業するという誠に悪質なことをやらそうとした先輩もいます。 法外なこと、曲がったことは嫌いな性格です。この組織にはなじめません。 一緒にいた先輩も、パチンコが好きで、ポケベルに777がつくとK店、333だとA店に来い!というメッセージを送るくらいで、真面目に営業をするという雰囲気ではありません。 ドルは、朝「行ってきます~」と近くのホールへ行ってしまいますが、でも、やる時は夢中で仕事していました。100件位飛込みをすることもありましたし・・。 イヤだったことの一つとして、仕事終わってから上司に日報を報告。 これが毎日深夜まで続く。 辞めるきっかけになったのは「見込み」を取ると、上司が自分の成績にするために部下の見込みを契約してきてしまうこと。 ノルマがありますので、こっちも真剣ですが、話まとまりそうになると、上司が契約してしまう。こんなことが数日続き。 エエ~~イ!ヤメジャ~~(カポさん風をアレンジ)すんませんカポさん。 キレたドル、暫くパチ生活に・・・。 会社から呼出を食らうのは辞表を出して2ヶ月後でした。 上司が、本部に「辞表」を提出しなかったみたいで・・・。 営業から外し、企画をとも言われましたが、とてもだけど、復職する気はおきませんでした。 このころ、付き合いはじめた人が居たのですが、こんなグチャグチャな感じで消滅。 3ヶ月ほどはフラフラしていました。車買うために貯めこんだお金は全部パチとスロットにブッコむありさま。いよいよヤバクなり、次の仕事を・・・。 この次の仕事に着いた辺りから、人生がおかしくなりました。 このころ平和の「レーザースペーシー」という台に凝っていました。 ドットですが、オレンジ、チェリー、7、$などのカラードットが美しく、また、 大量出玉にもゾッコンでした。 <本日登場の機種> レーザースペーシー(平和) ヘソチャッカーは戻しが1球、その他は13. アタッカーが開くとアタッカー下両サイドに道が出来て、「おまけチャッカー」に玉が入り易くなる。 アタッカーは10カウント30秒。10球入らないように釘調整されている反面、Vゾーンに入賞せず、パンクもありえた。 確率は1/220と記憶しております。1回で3000発前後可能。 |